論文の被引用度に関するエッセー

某大学の友人のO氏がした「Science誌の引用論文(Calcagno 2012)。初投稿で一発受理された論文よりも、一回以上リジェクトされてから受理された論文の方が、刊行後の引用回数が有意に多かった。ただし、あまり分野の離れた雑誌間では当てはまらず」という呟きをみかけた。
当該レポートは、Flows of Research Manuscripts Among Scientific Journals Reveal Hidden Submission Patterns(V. Calcagno et al.)Science DOI: 10.1126/science.1227833 Published Online October 11 2012(http://www.sciencemag.org/content/early/2012/10/10/science.1227833.short
それに対する私のコメント:
査読→却下→再投稿→[n回]査読→採択という手続きのほうが、原稿の公共性の度合いが広がるからだと思う。あまりにも常識的で凡庸な解釈ですが……
それに対するO氏のリプライ:「雑誌の分野が離れると、引用回数が減ると言うのは、「公共性」が高くなりすぎると今度は「専門性」が薄くなるということでしょうか??」
いや、専門家(レビュアー)がコメントするので、専門性は担保されつつ、議論の幅やチェックしなければならない思考実験がなされて、それが、より多くの数の専門家の読者の眼を引くのだろう。サイエンスやネイチャーは、素人やサイエンスライターに関心をより多く引くように、卑近な隠喩や強引で論点先取的なタイトルをつける技芸のセンスは天下一品だと思う。そのうち言語学者が一流の科学論文の統語論研究などに着手するでしょう。引用回数が増えるのは、時間の関数にも関係するからいわゆるロングテール化するんだろうと思う。打ち上げ花火型の論文引用と線香花火型の論文引用の違いと、想像されたし。
わが文化人類学の業界では、ギアツなどはものすごく長期にわたり引用回数の高い著者だが、私の狭い経験からみても、権威ある用語を顕示する学術的に必要のない引用や、アリバイだけの引用が多い。そんなのが査読にあたると「この文献は本当に必要ですか?」とコメントして返すことにしている。
補足説明:分野が離れた論文の引用が、このような一般性(あるいは傾向)を持ちにくいのは、超メジャーで多くの範囲をカバーする雑誌なら打ち上げ型の引用がされるだけで(他ジャンルには)陳腐化の速度が速いということでしょう。また、時間がたてば、同一分野の専門家向けの有力論文でメジャーと言えど他分野の論文を引用される回数は必要性がない限りどうしてもネグられるので「分野の離れた雑誌間」では、引用回数の高さがもつと思われる論文じたいのポテンシャルは他の分野には大きなアピールにならないということでしょう。科学者集団を、通婚を含めてそれほど濃厚な接触のない異なった言語集団とアナロジーして、文化要素の模倣や借用という現象と比較すると通約可能になる途が拓かれそうかも?