なんという大人の発想だ

馬鹿なピーター・シンガーの論文に「困惑で身をよじらせる」リチャード・ローティ、まったく自分たちのことがどのように市井の人たちから悪者にされており、シンガーの主張は、その疑念をさらに深めるからだというのである――「カント対デューイ」『文化政治としての哲学』所収
ローティは、シンガーの中にカントを良く知っているんだという「傲慢さ」嗅ぎつけようとするんですな。ローティは、それを全面否定して、別のアプローチをとれとは言いません。むしろ、シンガーのこの思索への「専門家的」態度が、カントの執念深い思索経験と同一化することの危険性があることを説くわけです。ローティは、カント的な超越論的な抽象的原理ではなく、身の回りの現実や、人類学やSF小説などの想像的感覚力のようなものを磨けと助言する。この自分たちの営為について自覚的になれば、カントのような傲慢さというダークサイドに引き込まれることなく、我々の精神を健全に保てるかもしれないと言うのだ。なんという大人の発想だこと!