彼の国で感じるヴァーチャル経験

昨夜、深圳についた。招待してくれたワークショップに参加するためだ。空港まで迎えに来てくれるフルアテンドである。公明な学者にも紹介してくれた。インターネットも繋がる。しかし、友人にアドバイスされたように、グーグルやフェイスブックがブロックされてつながらない。ここんところは、グーグルで検索三昧、FBで呟きまくり、そして、自分のウェブサイトで情報発信の三位一体でネットライフを過ごしていたが、結局最後のものだけがブロックされずに閲覧できるのみ。おまけに、グーグルにサイト内検索を組み込んだものも機能しないので、さすが私の三位一体も形無し。ウィキペディアは英語が繋がるが、日本語のサイトはだめのようだ。そこで繋がるのがヤフー・ジャパンである。最近はニュースもグーグル漬けだったので、この新しいネット環境への適用は、非常に「興味ふかい」。私の場合は、しばしの間だけだが、長期滞在するとなると、それなりの対応が必要になるだろう。ところ変われば、ヴァーチャル経験も変わる。単純な事実だが、いろいろなことを考えさせてくれた。

オープンソースの理念

自由な再頒布ができること
ソースコードを入手できること
派生物が存在でき、派生物に同じライセンスを適用できること
差分情報の配布を認める場合には、同一性の保持を要求してもかまわない
個人やグループを差別しないこと
適用領域に基づいた差別をしないこと
再配布において追加ライセンスを必要としないこと
特定製品に依存しないこと
同じ媒体で配布される他のソフトウェアを制限しないこと
技術的な中立を保っていること

翁長知事の平和宣言(全文)

■翁長知事の平和宣言(全文)
沖縄を襲った史上まれにみる熾烈(しれつ)な戦火は、島々の穏やかで緑豊かな風景を一変させ、貴重な文化遺産のほとんどを破壊し、20数万人余りの尊い命を奪い去りました。/私たち県民が身をもって体験した想像を絶する戦争の不条理と残酷さは、時を経た今でも忘れられるものではありません。/この悲惨な戦争の体験こそが、平和を希求する沖縄の心の原点であります。/戦後、私たちは、この沖縄の心をよりどころに、県民が安心して生活できる経済基盤を作り、復興と発展の道を懸命に歩んでまいりました。/しかしながら、戦後71年が経過しても、依然として広大な米軍基地が横たわり、国土面積の0.6パーセントにすぎない本県に、米軍専用施設の約74パーセントが集中しています。/広大な米軍基地があるがゆえに、長年にわたり事件・事故が繰り返されてまいりました。今回の非人間的で凶悪な事件に対し、県民は大きな衝撃を受け、不安と強い憤りを感じています。/沖縄の米軍基地問題は、我が国の安全保障の問題であり、日米安全保障体制の負担は国民全体で負うべきであります。/日米安全保障体制と日米地位協定の狭間で生活せざるを得ない沖縄県民に、日本国憲法が国民に保障する自由、平等、人権、そして民主主義が等しく保障されているのでしょうか。/真の意味で平和の礎(いしずえ)を築くためにも、日米両政府に対し、日米地位協定の抜本的な見直しとともに、海兵隊の削減を含む米軍基地の整理縮小など、過重な基地負担の軽減を先送りすることなく、直ちに実現するよう強く求めます。/特に、普天間飛行場辺野古移設については、県民の理解は得られず、これを唯一の解決策とする考えは、到底許容できるものではありません。/一方、世界の国々では、貧困、飢餓、差別、抑圧など人命と基本的人権を脅かす、多くの深刻な課題が存在しています。/このような課題を解決し、恒久平和を実現するためには、世界の国々、そして、そこに暮らす私たち一人一人が一層協調し、平和の創造と維持に取り組んでいくことが重要であります。/私たちは、万国津梁の鐘に刻まれているように、かつて、アジアや日本との交易で活躍した先人たちの精神を受け継ぎ、アジア・太平洋地域と日本の架け橋となり、人的、文化的、経済的交流を積極的に行うよう、今後とも一層努めてまいります。/戦争の経験が息づく沖縄に暮らす私たちは、過去をしっかりと次の世代に継承し、平和の実現に向けて貢献を果たす上で大きな役割を担っているのです。/本日、慰霊の日に当たり、犠牲になられた全ての方々に心から哀悼の誠を捧げるとともに、平和を希求してやまない沖縄の心を礎(いしずえ)として、未来を担う子や孫のために、誇りある豊かさを作り上げ、恒久平和に取り組んでいく決意をここに宣言します。/平成28年6月23日/沖縄県知事 翁長雄志【以上】

I Shall Be Released

I Shall Be Released
Bob Dylan, The Band

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They say ev’rything can be replaced
Yet ev’ry distance is not near
So I remember ev’ry face
Of ev’ry man who put me here
I see my light come shining
From the west unto the east
Any day now, any day now
I shall be released

They say ev’ry man needs protection
They say ev’ry man must fall
Yet I swear I see my reflection
Some place so high above this wall
I see my light come shining
From the west unto the east
Any day now, any day now
I shall be released

Standing next to me in this lonely…

墨塗り教科書の神話学

《墨塗り教科書の神話学》
 ウィキペディアYahoo!知恵袋などのネトウヨが盛り上がるページには、日本の敗戦後の軍国主義時代の教科書の墨塗りをあたかも「進駐軍GHQが、直接命令を下して実行させた旨の誤った(あるいはこれこそまさに「自虐史観」的な記述がほからなぬ)ネトウヨが騒いでいる。馬鹿な歴史捏造に叱責するのはアホらしいが、僕は、長年、墨で塗りつぶすというカルチャーがないGHQのメンバーの出身地の文化がなぜそれを可能にしたのか不思議におもってきた。言うまでもなく、戦後の教育現場に軍国主義教育の復活があってはならない「原理や施策」の指示はGHQにある。しかし、それを具体的に考案し通達したのは当時の文部省(の官僚)である。なぜなら墨で塗りつぶされる予定の《教科書しかなかったから》なのである。そのため(もの不足の戦後に優先して新規に印刷など適わず戦前の)教科書を使わざるをえない教育現場に即応しなければならない現場にマッチする《実質的な戦前の教科書の再利用の方法》であったのだ。それは教育現場では、教師たちに墨をぬらせ《教育制度の変革》があったことを自覚させ、かつまた(宗教の改宗にも似た)儀礼的行為でもある。そのため、戦後の教育史のなかでも、この出来事はよく覚えられているが、自分たちの文科省が具体的にその方法を詳細に指示したにも関わらず、「原理や施策」の理念だけをオーダーしたGHQにその命令=押しつけの根源があると、錯認しているのである。これは、現在では誤った疑似心理学風説明としてされている、強姦魔としての黒船と、日本=手弱女被虐説、あるいは去勢恐怖説の変奏であることは言うまでもない。敗戦後日本におけるGHQへの服従の《政治的儀礼》は、日米双方が知恵を出し合う複雑な手続に基づいていたことを我々に再認識させるわけだ。
終戦ニ伴フ教科用圖書取扱方ニ關スル件」(昭和20年9月20日終戦教育事務処理提要 / 文部省大臣官房文書課編. 第1輯
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000085219
追加:
なお、増田史郎亮「墨ぬり教科書 前後」長崎大学教育学部教育科学研究報告, 35, pp.1-10; 1988に詳しい情報がある。