流れの本質を詩作することーイスター讃歌

その(文化人類学会)後の翻訳論の展開のほうはいかがですか?
その時に、ドイツロマン派の翻訳論の話が出てきました。
まさにそれと関連するのが、ベンヤミンの翻訳論の後半で出てきたヘルダーリン古代ギリシャ神話の〈過剰翻訳〉の話ですが、たまたま手に入れた、D.Barison & D. Ross という人たちがとったThe Ister というドキュメンタリーフィルム(ドナウ川の源流について謳った未完のヘルダーリンの詩を、ハイデガーが解釈している逸話に絡ませて、流域の映像を交えてフランスの哲学者(ジャン=リュック・ナンシーや、ラクー=ラバルトなど)が論じている奇妙な映像)の議論が非常に(難解だけど)面白いです。ハイデガーの講義録は日本語でも読めて、創文社の全集の53巻(ヘルダーリンの讚歌『イスター』)で読めます。
ま、遅々としてなかなか進みませんが、翻訳の問題は、(対象を探す他動詞の)理解するや(自動詞的な)思索するということに関連する重要なテーマであると、何となく感じる今日この頃でございます。