コンセンサスは対話から生まれる

《コンセンサスは対話から生まれる》
 記憶(の問題)が叫ばれるのは、その現実がすでに存在しないからだ……というのはよく言われる。よい記憶は繰り返され、またよい尾ひれがつくが、悪い記憶は加害当事者に抑圧され、なかったことにしよう/歴史的評価がさだまっていないという発言モーメントに働き(例:安倍晋三さんや菅官房長官の発言等々)、被害当事側たちのグループは、被害者本人や個別ケースを普遍化して、それらの悪が横溢したことにようという記憶の捏造がはじまる。これらのすべての人達に欠落しがちなのは、記憶は事実にもとづいてコンセンサスをもたないと、どのような主張も捏造されたものにすぎないということだ。捏造も真実も、双方とも社会的に構築されたものにすぎないが、前者にはコンセンサスがなく、後者にはよりコンセンサスがあるということだ。そして、この社会現象の「よき含意」は、コンセンサスは対話から生まれるということである。このことを理解しないかぎり、何も前にはすすまない。