馬鹿な質問の効用について

《馬鹿な質問の効用について〜♪ 》
 僕は、医学研究科修士課程の第二期生だが、途中でドロップアウトした旧帝大の著名な物理学教室の出身の同級生が神経生理学かなにかの授業のなかで質問した「鯨は海に棲んでいるのになぜ塩辛く感じないのか?」という質問が忘れられない。僕は動物生態学を修めた理学士だったから、そんな疑問を想像したことがなかった。なんという馬鹿なんだという見下した気分だった。しかし、40年ちかくたって、その教授がどのような当意即妙な返事をしたのかという記憶がない。つまりきちんと応接できなくて、たぶん授業を先に進んだのだろう。つまりこの教訓は、物理学履修の学生の質問の奇矯さではなく、それにうまく応えられなかった教授の頓智や学問的想像力のなさだろう。いま、前者ではなく後者の業務を日々こなすなかで、そんなオモロイ質問をする奴もいなくなった。それゆにこそ、教授もほうも頓智応接のOJTに長けていない。学生の(一見)馬鹿な質問は、想像力を駆使する教授の商売に必要不可欠なアイディアと刺激の源泉だったのだ。それが失われた現在、今日の教授の新たな使命は、馬鹿でもいいので質問をしまくる学生の育成と、頓智とユーモアに満ちた教員の創成であることは謂うまでもない。