想像力の貧困?それとも貧困の想像力

《想像力の貧困?それとも貧困の想像力》
「先住民は必ず(政治的に)独立しなければならない」というのは先住民の当事者の一部の意見にすぎません。独立を自律とみなすと近代主体になれという意味ではありません。ただし、近代主体概念を(暴力的に押し付けてくる)旧い西欧思想と対抗するためには、そのような政治的アイデンティティ上の主体概念の仮構が必要になります。でもその主体概念は、西洋が用意する主体を撃破するものではなく、むしろ内破して《新しい主体》概念を組み直すものであると思います。そこでのキーワードは「排他的独立」ではなく「連携的独立」であると言えます。カナダのファーストネーションは国民国家と共存していますし。EU内でおこりつつある地方の自治権の確立は「ネーション」の概念は統一国家概念と必ずしも排他的ではありません。また、民族(ネーションではなくエトニー)の共存は、先住民と非先住民が両立することをさまたげません。国連人権委員会での先住民という統一したアイディアは、個々の先住民というよりも先住民族という単一のコスモポリタンであるということが指摘できます。ヘーゲルの時代はもうとっくに終わっています――これが依存症に似たヘーゲリアンから脱会する方法にほかなりません。