無神論入門

《神様と信徒の対話:あるいは無神論入門》
健常型の神様:「さあ、なんでも夢を叶えてあげよう。何になりたいんだね」
障害型*信徒:「ふつうの姿になりたいです」(*欄外註参照)
神様:「わしのような年格好になりたいということ?」
信徒:「いえ、私のような年齢とジェンダーの障害じゃない人の年格好になりたいということです」
神様:「具体的には? だれか同じ世代での美形のタレントさんとか?」
信徒:「美形でなくてもいいのです、普通の姿なのです」
神様:「普通たって、神様をやっている手前、私は平等に信徒を愛しているけど……」
信徒:「平等にということは、フツーにということ?」
神様:「そうです」
信徒:「でも、私をみる友人の目は、そうじゃないけど……」
神様:「どんなふうに」
信徒:「私はフツーじゃないらしいのです。キモイとか陰口たたかれます」
神様:「じゃあ、連中に神罰を与えて、同じようにキモくしてあげようか?」
信徒:「そんなことしたら、フツーの人が、私の気持ちと同じなって、悲しくなるじゃん!」
神様:「でもいいじゃない、君が舐めた辛酸を連中にも体験してやれば、もうしなくなるじゃない?」
信徒:「私と同じなるんだったら意味ないじゃん」
神様:「じゃあ、わしが、君をフツーにしたら、別の障害者を君はいぢめるのかね?」
信徒:「最初はいじめないかもしれないけど、やっぱりやがて障害者をいじめるかもしれない」
神様:「じゃあ、君の苦痛は解消されるけど、その分、君は別の障害者を苦しめるかもしれないね」
信徒:「そうなった時には、僕を異常型に戻してくださっても結構です」
神様:「君は障害者だからいぢめられるつらさを知っている。また、いぢめる連中の気持ちが『いじめられる辛さ』を知らないがゆえの、無責任でお気楽な気持ちから来ていることを知っている。そのことを知っているだけで、もう十分なのじゃないかね?ふつうになって、障害者の気持ちをやがて忘れられるふつうの人になるよりも、それは気高いということなのではないか?」
信徒:「正常なお姿をしている神様は、いつもそう言って、被差別者、障害者、貧乏人を丸め込み、私らを現状のまま(ステイタス・クオ)ままに、留め置かれる。何でも夢を叶えると言って、反社会的なお願いをすると、いろいろと難癖をつけて、聞いてくれない。神様はいっつもこれだ!」
神様:「正直に白状するが、これが《願いを聞いてあげる》と信徒にすり寄る信仰の限界なのだ!スマン! ほなサイナラ!」
信徒:「思いやり論は時間の無駄やな。やはり、唯物論者になろう、あほらし」
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