米朝さんゑのお調子者ノ狂弔辞

米朝さんゑのお調子者ノ狂弔辞】
 僕にとっては高座を降りてからは天寿全うを願う――つまり実質的に引退されて忘却していた――日々だった。ちょうど2週間前に、米朝さんのレコードがあってかけて途中まで聴いてやめた(もう過去の人だったからだ)。だから「えっ!」というのはおそろ5分ほどで、周囲の人と話して、そしてFBに投稿しておわり。上方落語の復興の功績は賞賛してもしきれない。落語評論から上方落語の危機を感じて、本当に米団治に弟子入りするのも、すごく近代人だった。洒脱な師匠。僕には六代目松鶴―場が華やぐ愉快な師匠―や、二代目露の五郎のほうが心に残る(後者の廓話は成人してからだが)。そして、最大のショックは枝雀の自殺(自死)のほうだった。天才横山やすしの晩年と死去と同時に、お笑いのサゲとは真逆の終焉の恐ろしさに比べれば、師匠の死去は、穏やかで嫋さを感じて、不遜な言葉だが安心感を感じる。師匠におかれては、地獄(天国)で高座に登って、地獄の人たちを思う存分笑かしてほしいものだ。