真摯な謝罪は高価な軍艦よりも遥かに安くて堅固な防衛手段

【真摯な謝罪は高価な軍艦よりも遥かに安くて堅固な防衛手段】
 従軍慰安婦の像がニューヨークに新たに建立されたことに「日本人として」困惑気味の友人がぶつぶつ……。僕は、最初、日本人の若者がじゃんじゃん訪れて、ピースサインでもして、友好的に受け入れたらどうか?と提案さしあげたが、御不満のようだった。僕自身は、本心としては、御自身のなかにあるほとんど無根拠な――つまり臆見により自然化されている――〈朝鮮人嫌悪〉に自覚すれば、どうってことない、むしろ歓迎すべきことなのだと思ったのが…… そこで路線を変えて、日帝時代には最も同胞として仲良くすべき友人を、心の奥底で差別するだけでなく実際に搾取したんだから(加害責任として)報いを受けるべきじゃないと言うと,これが火に油を注いだようで、それは河野談話で終わっているとおっしゃる。でも今の政府は隙あらば談話そのもののを反故にしたいのに、立つ瀬ないやんと反論。東アジア女性基金が、政府の直轄でなく民間――日本国民の「総意」という日本人の十八番のレトリック――経由での「見舞金」という姑息な手段を使ったのが、俺達日本人の汚い手口だったことを教えてあげる。そもそもパククネの父は、陸士出身の旧帝国軍人の独裁者、朝鮮同胞の政治弾圧やKCIAを遣って恐怖政治を断行した。母ちゃん凶弾に倒れ、独裁者のファーストレディ代わりをしたパクちゃんが、日本との腐れ縁を反故にすることなんかできない――できればそれは政治的かつ意図的アムネジア能力が凄過ぎる!。朝鮮に民主主義の伝統がなかったとしたら、その負の遺産は日本人同胞の責任。そもそも近隣で違いより類似点が多すぎるので、双子のキョウダイ嫌悪といっこも変わらない。これらのことに無自覚な国は、馬鹿な建て前を今後も謂い続けるから、もういいの。両国民が、対話をつづけていけばいい。だが、和解と癒しというものがあれば、それは元加害当事者が【まず】謝罪をして、それを被害当事者が【謝罪を受け入れ】なければ、対話が始まらない。対話には終わりがない。ジンギスカンの虐殺責任は、中国共産党少数民族弾圧よりも、歴史的に古くなり、歴史的リアリティを感じなくなる。この憎しみの連鎖も、あと【たった】2,3百年で【世代で10代程度】軽減される。そのためには、両国は延々と政治的対話を続けるほかない。対話している間は、険悪でも、お互いに手を出すことはないだろうから。