議論のやり方での失敗

議論のやり方で失敗する人のうち、よくあるパターンが、理詰めで対立する意見(命題)を出すところまでは成功しているのだが、その正反合の最後の詰めの〈合〉で、その議論とはぜんぜん関係のない世俗的な道徳的審級(例:人の気持ちをきちんと忖度する、良好なコミュニケーションを試みる、相手に誠実にする等々)を持ち出してしめる人がいはります。まあ(他所様の授業を覗いても)僕たちの同業者にも、同じようなこと言う奴がいるので、ふつうの人たちの(特に価値判断が絡まった)立論構築の時に、人が陥りやすいのでしょうね〜♪