戦略家としての山本五十六

戦略家としての山本五十六の能力はそれほど高くないようだ。

「横山一郎少将(海軍次官当時の副官)は「山本のブリッジはブラフ(はったり)が多い。堅実にやったら必ず勝てた。山本のブラフと僕の合理的な方法なら、僕が勝つ」と述べている[376]。柴田武雄は、上に山本のようなわけのわからないのがいると必ず負ける、歴史を無視した精神偏重で、戦闘機や技術開発に努めるべきだったのに山本には能力も英知も欠けていたと批判している。[377]淵田美津雄大佐は、山本が戦艦「大和」を安全な戦線後方に温存し遊兵化したこと[378]、「い号作戦」で圧倒的物量を持つ米軍相手に航空消耗戦を挑み、再建したばかりの空母機動部隊搭乗員をさらに消耗させたことを批判して山本五十六は凡将だったと語っている[379]。中島親孝(連合艦隊情報参謀)は、山本が戦艦を後方に置いたことに対して比較的高速の「大和」と金剛型戦艦を先頭に立たせれば戦艦の価値を発揮できたと批判し、空母機動部隊の価値も、米軍のそれを見せつけられるまで、ほんとうには悟れなかったのではないかと述べた[380]。/米軍の侵攻への防衛戦となってからは戦況推移に沿った指揮ではなく、真珠湾攻撃後の南雲機動部隊を西太平洋・インド洋方面に転用したことで、米軍に衝撃から立ち直る時間を与えてしまった[381]。ニミッツはこの時間が最大の助けになったと語っている[381]。/空母鳳翔に対し優秀なものを回すとする意見に山本はそんな母艦はいらない、大多数が使えねばならないので中級者を回し訓練を改善し努力いかんによるべきとした[382]」。
出典:http://bit.ly/1elFynA