アウエルバッハ『ミメーシス』

【神学的教訓から文芸学研究の古典へ!】
1)グラサンの女が神(イエス)だとする。
2)盲のおっさんは、彼女(神)のことはハイヒールの手触りからわかるが、彼女の施し(=金をくれずにアイディアないしは信仰の呪文[=これまでは異なった「盲による目明へのメッセージ」])を受けいれる。――盲の乞食は、神からの施しをただひたすら受けいれる存在である。
3)信仰を受け入れてからは、収入の規模は激増する
4)盲は神の奇蹟におどろき、神の行為に畏敬の念をもつ
5)再度、神は盲の乞食の前に顕れる。盲はハイヒールの出触りでそれが神であることがわかる
6)貧しき信者は神にたずねる「いったい何と書いたのか?」
7)神はなにも言わずに立ち去る
8)メッセージが視聴者にもたらされる(これは盲の最初の信者には明かされない)
9)盲にもそして目明きの我々にも、神の恩寵は、なんであったのか、神の意図はなんであったのか、やはり最後まで明かされない。分かることは、神の超越論的な「善意」だけである。
10)僕は、ここから『福音書』に登場するイエスのことよりも、この盲の乞食は、現代のオイディプスなのだと思った。
11)参照文献:アウエルバッハ『ミメーシス』
http://www.youtube.com/watch?v=Hzgzim5m7oU