「総統の意向」について

「命令は帝国宣伝指導部から発せられていた。私はゲッペルスが権力を渇望して、また彼の無知さ加減から、対外的政治情勢きわめて重大化しているまさにその時に、この行動を開始したのではないかと思う……私はそれについて総統に聞きだした時、総統はこの事件(1938年11月7日ユダヤ人青年の駐在パリ大使館員を射殺したことに端を発するドイツ国内の2つの地方でのユダヤ人社会に対する騒乱)について何も知らなかった、という印象をもった」――ヒムラーのメモ(ヒルバーグ1997(上):32)
【註釈】帝国宣伝指導部にいたゲッペルスは、総統の命令として、両地域におけるユダヤ人に対する騒乱を「容認」するようにと幹部に伝えた。このことを、多くは「積極的な騒乱を起こすべき」と解釈してユダヤ人に対する計画性のない暴力行為の実行が始まった。他方で蚊帳の外にいた、例えば財務相は、ゲッペルスユダヤ人からの納税が滞ることについて文句を申し立てた。いずれにせよ、総統がどの時点でユダヤ人を組織的かつ計画的に社会から排斥するのか――あるいは趣味のわるいスケープゴートの対象にするのか――という開始の時点はあいまいである。いや、ナチスドイツによるユダヤ人への弾圧がどこから始まるのかという点を厳格に定めることに、それほど大きな意味はもたない。むしろ、総統のユダヤ人嫌いに、みんなが自分の利害を絡み合わせながら「総統の意向」を実現させていったのかが重要なわけだ。
【寓意論的解釈】ブラックジョークだが、東アジアの端の貧相な國の首相の「意向」を実現させるために、自民党の幹部や霞が関の官僚たちの行動や、さまざまな悪法――俺達からみての話だろうが――を通過させるために、ない知恵を出し合い、さまざまな手管をつかって反対派を封じ込めてゆく。そのことが、まさに上述の「総統の意向」の寓意として我々の反省的想像力に対して機能しているとしたら、この話は、ナチスドイツのエグイ話では済まされず、我々の身の回りにも起きていることがらなのではないでしょうか?