従軍慰安婦と通底する公娼制度

=======================
従軍慰安婦と通底する公娼制度の歴史的転換点は1947年なのでは?
=======================
1947年に公娼制度は廃止されました。典拠「婦女に売淫をさせた者等の処罰に関する勅令(昭和22年勅令第9号)が出された。公娼制度は名目的には廃止されたが、赤線地帯は取り締まりの対象から除外されたため、事実上の公娼制度は以降も存続した」(ウィキ:売春防止法)。つまり1947-1956年は売春取締条例で名目上の禁止、旧赤線地帯で売春を容認していた(上記の記述「名目上の公娼」)。でも「公娼」という用語をこの時期に使うのは、名目上であっても「公娼制度が昭和31年頃まであった」という表現は正確ではない。1956年の売春防止法成立までは、事実上の(民間業としての)売春があったと解釈すべきでしょう。公娼制度の重要なポイントは、セックスワーカーの賃労働を、公的ライセンスを付与して管理していたとういうことです。戦争戦後の大変な時期でも、というか大変な時期だからこそ、国家が男性の下半身を管理しなくちゃならない「公の業務」と認識していたことになります。この「精神」は、当然、日本軍兵士の下半身管理制度である従軍慰安婦の設計ともかかわります。民間業者に委託して――これが安倍首相が逃げ口上として言い訳につかう手口ですが――ますが、軍属や軍需産業と同じで全部自前などはあり得ず民間業者にアウトソースするのは昔も今も同じことです。
=======================
1956年の売春防止法でも売春は「防止」できなかった
=======================
そして56年以降も売春は日本社会に厳然としてございます。だから公娼制度云々というのなら1947年を分水嶺にするほうがよろしいと思います。もちろん売春防止法の制定過程をみると、それは歴史的に意義のある法律であることは事実です。むしろ問題は、ポスト47年の売春事情は今日まで変わらず。STD予防の観点からは事実上ないことになっているからむしろ逆に(公衆衛生「医療警察」という観点からは)困ったままであるのは言うまでもありません。実質上、児童買春を「援交」と称しているほどのクレイジーさは、眉を顰めるばかりです。実質的に存在するセックスワーカーの賃労働と搾取ということもあるわけですが、存在しないことになっているわけですから、公の議論すらできません。労働者への不正義はそのまま温存されているわけです。管理売春の場合は、売春者のリクルートには人身売買のような事案も多々あるわけです。日本の売春「問題」は(これまで散発的に識者の議論こそあれ)1956年以降、実質上思考停止(ないしは極めて熟議のレベルが低い状態)に終わっているということも事実なわけです。