天皇の水俣行幸を機会に天皇制について考える

天皇水俣行幸を機会に天皇制について考える】
  チッソ(日窒)の創業者野口遵の姻族には皇族もいたというのは、本当か嘘かしりませんが、水俣ではよく言われていました(昭和6年と24年に天皇行幸水俣にありました)。だからこの半世紀以上の、水俣病「事件」――相思社の連中はいつも「これは歴史的傷害事件なのです」と口をすっぱく解説するけど僕もそのとおりだと思う――とそれに対する闘争の歴史のなかでは、チッソには絶対に勝てないという雰囲気、つまり不戦敗というのがずっと基調としてあったのですよ。おまけに天皇がそのような「汚らわしい場所」に絶対にこないという信念もながい間ありました。チッソが原因企業になり、おびただしい裁判において認定訴訟があり、政府と厚生省に翻弄懐柔され、国家補償を不完全ながら達成し、そして、来ないはずの天皇が犠牲者の慰霊のためにくるのは、たぶん隔世の10乗的な感があるでしょう。もちろん戦後のさまざまな反体制運動、「解放」運動の歴史からみれば、現在においてなお、天皇は来るべきではないという主張も僕は筋が通る――政治的に正しい主張――と思います。
だからこそ、天皇の「行幸」そのものが、運動にとっての終止符――政府の過去20年間は救済ではなくこのことに専心してきたのはまがいもない事実です――なのではないかという危惧も間違っていないと思います。明仁さんが、父親(裕仁)と同じ役割を担った存在ではないこともまた、天皇制や天皇の問題だという一般化にも耐えることができません。まあ、彼の個人的なものに関連づけて脱線するのはいけないのですが、魚類学者としての観点からの「水俣病」問題に、個人的にでも注視しているだろうし、彼のプライベートな生活の中で「水俣病の歴史」をしっかりと知悉していると、僕は信じていますけど――天皇という仕事を近代社会という列車が積み残した「やっかいな荷物」という観点から、彼を対話の相手としてみることが本当の天皇制の解体への道に繋がるでしょう。