スティグマとしての慢性病を「カミングアウトする」こと

慢性病者は、完全な義務免除を約束されるわけではないが、現代では、慢性病を「カミングアウトする」ことで、ある程度その役割期待を遂行することができる――その場合は回復が期待されるのではなく、慢性病に自ら対処(self-coping)する従順な身体であることがまず先に期待される。第二の「病気という状態に対して責任」を取らなくてもよい、このパーソンズのテーゼが、現実の道徳原則に規定するようになり、病気感染の理由を道徳的に非難したりまた病人が非難されることは少なくなる。慢性病は「第三に、この状態は条件つきで正当なものと見なされ」回復することが期待されているが、ここに初めて治療の困難性――だから慢性病と呼ばれる――や「自己管理」責任能力から、逆に世間の道徳的非難に曝されることになる。これは、病気になったことが問題にされるのではなく、病気と立ち向かう慢性病の病人の自己の対処が問題とされ、それに失敗すると、道徳的非難の対象になるのだ(例:糖尿病患者が摂取食事の自己管理を怠る、アルコール依存症の既往があり現在禁酒している人が再び飲酒を再度始める等)。そして、第四の「援助の必要性を受容し、援助者に協力する義務を受容」は、急性疾患の病人よりも、その必要を強く説かれる。つまり慢性病に「ふさわしい」病人役割を演じることを社会から要求されるようになる。カミングアウトはしばしば病人本人のアイデンティティ構築に寄与するように働くと言われているが、慢性病の場合は、急性病の患者を想定された病人役割から、カミングアウトを通して、当事者が住まう慢性病患者の病人役割を作りだしてゆく可能性をもつ。