日本王制の奇妙な性質

 三島由紀夫の文化防衛論(1968)のなかにある背骨は菊と刀の連続性ということだ。
 だから、彼が防衛という刀の部分には、軍事的武装だけでは武装を為さないという不全感が強くあり、それが哲学的な武装つまり文化防衛という発想が出てくるのだ。
  だがこれはある意味で、武装や防衛のみならず生活をロマン主義的な美学化の対象にするということだ。そこには(その大本となるルース・ベネディクトやさらにそのまた大本のニーチェの)デュオニソス的なものがほとんどない。彼の軍事武装も文化防衛もまた極めてアポロン的な理想に貫かれている。
 おまけに三島の天皇制の護持・発展は、明治憲法のような直接統治を謳うのだが、一方で天皇(の身体)は次々と変わる(=生きている木偶の坊としての天皇という役割には一切興味がないようだ)が天皇制そのものは永遠だという歴史的に無根拠な論法を振り回す点では、彼もまた天皇機関説の理念的復活を夢見ているように思われる。
 流麗な文章なのだが、論理が奇妙で不思議な議論だ。