バランスを欠く病理史観が跋扈するニッポン

【バランスを欠く病理史観が跋扈するニッポン】
 ドイツ人は過去の戦争と向き合う姿勢があるのに、日本人はダメなままだという論調があるけどちょっとおかしい(ナショナリストが左翼は外国のリベラリズムにコンプレックスがあるのだという批判はその意味で当たっている)。10年以上前に授業で取り上げた教材に、戦後のドイツも日本と同時に過去の戦争犯罪に右も左もなかなか向きあえなかった( ブルマ、イアン、2003『戦争の記憶:日本人とドイツ人』石井新平訳、ちくま学芸文庫筑摩書房(1994年にTBSブリタニカより同名のタイトルで初版が刊行)を参照)。石原や橋下のような極右政治家を日本人の代表とみなすような海外の報道はナンセンスでしょう? だからリベラル派を自虐史観と騒ぎ立てる極右にもそれなりの理由がある。もっとも『国民の歴史』派の最大の問題は、反=自虐イコール「プライド」などという戦争賛美あるいは自己正当化、酷いものになると「記憶の消去」さらには「歴史の捏造」に手を染めるようになった。つまり精神の病理(=これをPTSDからの歪んだ回復と言わずして何と言おう)に踏み込んでしまったことだ。あらゆる歴史は勝利者のものというよりも、生き残ったもののためということだ。だから生き残ったものが、ありもしない「歴史の専有」をめぐって口汚い戦争をおっぱじめるのだ。自虐史観も「国民の歴史」史観も共にバランスを欠く病理史観だと思う。歴史の物象化あるいはフェチ化をして、どちらが快楽を引きだすのかという「国民のナルシシズム」のオナニー論争をしていると思えば、多少熱も醒めて、何から手を付ければよいのかが見えてくるだろう。加藤典洋さんが、もうずいぶん前(1995)に敗戦後論で冷静に議論しているとおりだと思う。