「公衆衛生大学院におけるコミュニケーション教育」

皆様へ

仮想問題:
 表記の案件は、当事者間で決める問題だと思いますが、もしこれが大学院生の授業で僕がチューターで担当していて、みんなで決めた「公衆衛生大学院におけるコミュニケーション教育」 のセッションで、1人の演者が「医療者による謝罪と法的責任」というテーマを出してきたら、僕はどのようなアドバイスをするだろうか、考えてみました。そのリプライの想定のチューターの力量は以下のようなものです。
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(1)「バカ野郎、テメエ何考えるんだ!」→勘違いした当該学生の事情を考えずに頭ごなしに否定する。チューターとして失格
(2)「君は「公衆衛生大学院におけるコミュニケーション教育」に「医療者による謝罪と法的責任」という演題を出すんだね。でも、もし君が発表者ではなく、聴衆だとしたらフロアからの違和感を覚える人が出てくるじゃないかな?」と答える→一般論的な説諭で、改善案へのガイドをしない。コメントとしてはやや不親切。
(3)「君が関連づけられるなら堂々と「公衆衛生大学院におけるコミュニケーション教育」のパネルで「医療者による謝罪と法的責任」をやればいい。ただし公衆衛生教育に関連するネタも使わないとだめだよ。また公衆衛生領域では、いかに「医療者による謝罪と法的責任」という視点がこれまで欠けてきたのかについて提言するくらいじゃないとだめだ。だから『コミュニケーション教育全体をoverviewするという方向とは逆 で、非常にspecificなテーマ』というの、ただの君の現在のやりたいことの自己正当化にすぎない。この「公衆衛生大学院におけるコミュニケーション教育」に興味をもってやってくる人のことを考えて、若干のタイトルの修正(公衆衛生領域やMPHにおけるコミュニケーション資質が入ればベスト)と、内容に関する正当化をもうすこし「公的」なものにしたらどうかな? いい線いっていると思う」→最初に自己反省させることを忘れず、学習者の気持ちをエンカレッジして、かつ、自分でしかできない改善を具体的に提示するすばらしいチューター。
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 というわけで、私は大学院の授業のポスドクレベルのチューターを育成するなら(3)ぐらいの資質をもつ奴を育てたいと思います。