セイゴウさんの読解

藤原不比等の一族とは袂を分かって大中臣を名のった意美麻呂、清麻呂の父子が関与した事情のプロセスに「神道」が芽生えていた。またひとつは、大伴家持の「族(やから)に喩す歌」にうたわれた「隠さはぬ 赤き心を 皇辺(すめらべ)に 極め尽して 仕へ来る 祖(おや)の職(つかさ)」に「神道」が見えていた。さらにひとつは、各地にのこる産屋の風俗と大嘗祭の神衣(かんみそ)の秘事との関係に、もうすこし冒険的にいえば、それらと寝殿における大庭(おおば)や塗籠(ぬりごめ)の出現との関係に、それぞれ「神道」の超部分が覗いていた。あるいは儒教儀礼の「郊祀」のありように「神道」の外来性のひとつが響いていた。」(出典:松岡正剛の千夜千冊高取正男神道の成立』平凡社