平和と護憲の歴史的意味

【平和と護憲の歴史的意味】
神でもかっての鬼畜から与えられようと、押しつけあろうと/なかろうと、その意味を咀嚼しよいと納得・理解すれば、それは「善」になるのだ。旅をすればわかる。おまけに平和憲法は世界の良識派の人から驚きをもって見られる存在なのだ(俺は大昔コスタリカの田舎っぺのおっさんから我が日本国憲法を称賛された経験がある)。恥知らずの自民党改憲派は、長崎原爆投下直後の写真を撮り続け実質的に人類の遺産とも言える映像を遺した山端庸介の手紙について、考えるべきなのだ!。彼は、原爆の写真撮影の後の時代になって、娘が生まれたときに(その赤児にたいして、成人の時に読まれることを期待して)娘への手紙を書いている。俺達は、その意味について、たった今!、深く考えるべきなのだ!:(以下、引用)
「おまえの生まれた時はあたかも、日本が一等国から四等国に落伍した後であり、世界がやっと戦争から平和に移行した年である。この環境はおまえにとっても両親や身内のものにとっても、どんなに幸せな事かわからない。しかし、偉大な世紀の悲劇は、日本民族を国家的に再起不能たらしめ、日本人はこれら骨身にしみるような民族的困難を受けることは、おまえにとって不幸だと思う。これを脱却するためには、日本的感情の女という事を忘れて、勉励して個人的に豊かな人間性を持った立派な人間になることに努力しなければならない。優れた才能をもった人間には、人為的国境はなく、一等国とか四等国の人為的に作られた国境はない事を、心に銘記して、人を愛し幸福な生き甲斐のある人生を送ることを心から希望します」