安倍首相の歴史認識を問う

 従軍慰安婦問題は、731部隊関東軍防疫給水部)でもそうですが、当事者にとりどこか倫理的にやましいところがあり、敗戦時に「ヤバイ」と思われた関連書類はまず焼却などの処分にあうのです。しかしファイリング量は膨大だし、そもそも人体実験でも慰安婦の調達でもそれを支える(必要とする)システムがさらに関連書類を作りますので、そんなものは傍証をとればいくらでも「間接証明」できるのです。
 戦後多くのこれらの「事業」に関わった人たちには、寡黙を守り通した人と、能天気にガンガン話した人たちがいます。前者は罪の重さややましさを感じていた人たちで、後者はシステム全体の問題であって自分が関与したことはシステムの「歯車のひとつ」と合理化できた人たちだろうと思います。
 すでに物故している後者の人たちは、戦後のジャーナリストや作家に「証言」しています。つまり「直接証拠」の有無で真偽判断ができるという安倍首相の認識は(まったく失望すべきことに)非科学的で非合理な主張だと言わざるをえません。安倍は(この間の発言から忖度できる)歴史認識においてはフランスにおけるルペン級の極右と判断せざるをえませんね――アメリカ合衆国が懸念しているのもそうで、中国共産党はこの点をよく認識しているから日本の国論が2つに割れることを知っているから(前政権から引き継いだ)尖閣問題に対しては強面にブラフをかけることができるのです。ま、言わば身から出た錆だと思うのです。
 安倍首相側にまったく思慮がかけていると思われる点は、韓国側が苛烈に普遍的人権問題と「蒸し返して」いる状況というのが、実は竹島問題をめぐる韓国のナショナリズムの流れのなかで、慰安婦問題を(日本という邪悪な存在を「呼び起こす」)政治的手段として、政府が国民への好心を買うために利用しているということを氏知らないということです。一国の政治家として(韓国や中国で行われたように)全体主義政府は国民への煽動を国民的教育を通しておこなっていることを、冷静に考えるべきです。心のノートは一度失敗しましたが、教育基本法改悪は成功したので、安倍首相は、自分もそれをできると過信していることです。
 安倍首相に猛勉強してほしいことは、従軍慰安婦が歴史的にどのようなものであったのかを、日本人として正確に知ることは、日本人であることを恥じることではなく、自分たちが為した「悪」に向き合い、それを克服し、システムによる犠牲者を悼み、犠牲者の怒りを知り、犠牲者のたましいと対話し、そして加害者としての当事者性が(当時の)日本ならびに日本政府にあると判明すれば、すべての犠牲者に対して赦しを乞うことです。このような主体性を、日本(日本政府および日本人)がもつことは、何ら恥ずべきことではなく、むしろありのままの当然なすべきことをやる自覚をもっているという点で、人間としてのプライド(誇り)があるということなのです。