「統治形式としての民主主義」と「生活形式としての民主主義」の相克

紛争の「発生」を、それまで静態的だったある種の葛藤状態の解消(あるいは悪化)にむかうダイナミズム(動態)だとしたら、「解決」は、あるひとつの帰結であり、発生時にはなかなか予測できないものになるでしょう。我々は、しばしば「解決」を事後的に(post hoc)一種の安定的均衡点だと理解しますが、時間軸の取り方次第で、紛争中の経過(途中)とも解釈することもできるのではないでしょうか?
つまり、ある葛藤状態の分析をおこなうほうが、葛藤を別の比喩でおきかえて、記号論的操作をして満足するよりも、生産的ではないでしょうか。
ランシエールという、元アルチュセールの弟子の政治哲学者が、民主主義のパラドクスを、「統治形式としての民主主義」と「生活形式としての民主主義」の相克として、捉えています。僕はなかなか炯眼だと思うのですが、いかがでしょうか?

Praetorianism - 衛兵主義
"the control of a society by force or fraud, especially when exercised through titular officials and by a powerful minority".(制度化レベルが低く、参加度が高い政治参加システム):これに対して、制度化レベルが高く、参加度が相対的に低いものは「市民政治体制」と呼ばれる。(ハンチントン『変革期社会の政治秩序』)