身体観をおおまかな宗教の区分で説明することの根本的誤り

でも、身体と心という語彙がありますし、心身二元論も日本人は理解していますし、自分は二元論者だという人もいますよ。(西洋人でも、心身二元論は間違いで、自分は心身一元論だという人もおります。このように当該文化における少数派の存在と宗教の違いは必ずしも合致しません。現代の社会においての宗教の世俗化以降、宗教の違いで文化の違いは説明できません。このようなことを宗教から説明するのは19世紀のロマン主義的な文化論の限界で、今日では、そのタイプの説明の仕方は完全に時代遅れだと思います。

心と身体に関するアリストテレス理論の骨子は普遍主義的な目的論です。中世のキリスト普遍主義の中心に神概念を持ち込み、目的論を信仰の唯一性と聖職者の存在の正当性の論拠としました。西洋の心身二元論の元祖は(近代合理概念の創始者デカルトです。でも、デカルトの「人間論」は、(ジャンセニスト)キリスト教との対立関係から死後に出版されました。さらにデカルトについて(我々が無反省に)「心身二元論」と呼ぶものも、デカルトのテキストでは、単純な二元論ではありません。みんな原典を読まずに、いい加減なことをいって、それがやがて「定説」になるのです。