宮入貝の供養塔

筑後川流域では特に支流の宝満川流域(宝満川本流、新宝満川、安良川)と筑後川の合流点から、現在の国道210号豆津橋一帯の福岡県久留米市佐賀県三養基郡周辺が(ミヤイリガイの:引用者)一大分布地であった……建設省による事業は1965年(昭和40年)より開始され、まず宝満川流域で河川敷整備と水門の改築による護岸工事を実施した。この結果1970年(昭和45年)には宝満川下流域では新宝満川左岸部を除きミヤイリガイの根絶に成功。上流部の鳥栖市でも1969年(昭和44年)にミヤイリガイが大発生した以降はススキの刈り取りを徹底的に実施して根絶に追い込んだ。/しかし新宝満川左岸の久留米市小森野地区ではその後も感染したミヤイリガイの棲息が継続的に確認されており、対策が求められていた。建設省は 1965年より筑後川治水事業第二次五ヵ年計画を策定し久留米市内の大規模築堤事業として「久留米市櫛原大規模引堤事業」を計画。また水資源開発公団筑後川水系水資源開発基本計画の一環として筑後大堰の建設を計画した。この両事業は大規模な河川敷改修を伴うが、最後のミヤイリガイ分布地に建設されることから同時に本格的な日本住血吸虫撲滅に乗り出した。1984年(昭和59年)に筑後大堰、1993年(平成5年)に東櫛原引堤事業は完成するがこの間建設省水資源開発公団は徹底的な河川敷整備を行い盛土や護岸整備で、久留米市など流域市町村では河川敷の清掃を行ってススキなどを刈り取りミヤイリガイの生息域を壊滅させた。この結果1990年(平成2年)に福岡県と久留米市はミヤイリガイ棲息調査を行い、ミヤイリガイが撲滅されたことを確認し「安全宣言」を発表した。しかし日本住血吸虫症は慢性疾患であること、また調査の漏れをなくす理由からさらに10年間の追跡調査を実施した。/調査の末2000年(平成12年)、新規感染患者もミヤイリガイ発生も皆無だったことから「終息宣言」が発表され、筑後川流域から長年流域住民を悩ませた日本住血吸虫症を完全に撲滅させることに成功した。同時期他の感染区域であった利根川富士川などでも撲滅され、日本は世界で唯一日本住血吸虫症を撲滅させることに成功。現在同疾患は国内に存在しない。反面、公衆衛生の観点とはいえ一つの種を人為的に絶滅させたことは確かであり、久留米市には強制的に絶滅させられたミヤイリガイを供養するための「宮入貝供養塔」が建立されている」(ウィキ日本語「筑後川」)。