私の憂国論

mitzubishi2010-04-20

 現政権は民主党なんであれなんだが、ボンクラな補佐官や官房ではなく、もし鳩山政権にキッシンジャーみたいな外交戦略家がいれば状況は変わっていたかもしない。
 つまり普天間基地の国内移転先の折衝においては、候補地の首長と住民を、同一国家内の地方自治体に過ぎないという傲慢な発想を内閣はさっさと放棄して、(徳之島のような)地方自治体をきちんとした自己決定権をもつ地域主権共同体と考えるほうに路線を転換するのだ。(もちろんキッシンジャーのような密使による事前交渉は必要――ただし時間がかかるので腹案などとほざく前に丁寧で時間をかけた情報収集と合意形成には石橋を叩いてまわる慎重な折衝が不可欠だが……)
 そうすれば移転の受け入れについての利益/不利益と、移転受け入れ後の中央政府からの保障と補償についてお互いに尊厳をもって話せる状況ができたかもしれない。もちろん現政権はそのような選択肢と犠牲と義侠に対する手厚い方策をとらなかった。
 離(辞)職もそれほど遠くない現首相や内閣のこれまでの対応のまずさは、以上のように、端的に言うと地域共同体をたんなる日本国家傘下のいち自治体と考えるのではなく、国家と対等の尊厳をもつ交渉相手(=地域主権共同体)だと思ってこなかったという責任があるというのが、私の主張である。
 民主党だけが悪いのではない。普天間基地移転には、(不作為を含めて)これまでの政党にはすべて何らかの瑕疵がある。連立与党の国民新党社民党は、同じ内閣の一員という自覚を欠く掻き回しでまるで野党(自公)の子飼いのゴロツキになってしまった。この病理の予兆は組閣後にすでに顕著な兆候として発覚していたのにかかわらず、民主党の首脳部はなにも対策を打たなかったーー首班である総理には国務大臣を更迭・解任できるだけの権限があるはずだ。自民党普天間の移転に関する自らの政策決定の事実という過去を意図的に忘れ(老人ぼけよりもたちが悪い)無責任野放図の極み――そう普天間移転を辺野古沖にする計画案を通し、自治体の了承の得ていたにもかかわらず。その時の政策決定についての総括はこれまで一切していない。更に悲惨なのは公明党である。この厚顔無恥な党はかつての反米とリベラリズム(とりわけ憲法第九条の護持という)の極めて美しい党風があったのだが自公連立の腐った時代に、自民の集票マシン幇間に成り下がり、かっての香りを失ってすでに久しい。
 これを憂国の事態と言わないものはない。
 我々の精神に欠けるのは、国民のひとりひとりの意見を尊重に、合意を得るために徹底的に討議する姿勢とモラルである。
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附論
琉球が日本から独立し対等な外交関係を結ぶようになれば、現在の沖縄県にある米軍基地は地位協定にもとづいて日本の「新」領土内に移設しなければならなくなる。その時になって、日本人(ヤマト)はこれまで琉球を東アジア方面の防衛ラインの盾(あるいは無垢なリゾート地)としてしか取り扱ってこなかった愚かさに気づくはずであろう。
 奄美・徳之島も米軍の進駐と「連合軍」による占領が行われた地であったことを、徳之島の反対住民が思い起こしてくれたことは不幸中の幸いであった。一番にこのことを銘記し移設問題にまず言挙げしておかねばならない首相にとってはこのことは致命的ミスであった。友愛の前に反戦の誓いだ!
 俺たち(ヤマト)は東亜の平和民族で近隣の外国とは違うという思い上がった自惚れ根性が、いかに誤った認識であることが普天間の一件で明確だろう。このようなねじ曲がった劣等意識の裏返しの傲慢や卑屈な精神は、竹島を実行支配されている隠岐の町議会が、外国人の地方参政権の付与を反対する決議を、竹島問題に対して真摯に取り組まない外務省や政府へのあてつけの如くおこなう、誤った外国人嫌悪(xenophobic)という病理にも関係しているだろう。