グローパル・キャピタル・マネジメントシステム下における成績判定

皆さん
この間のやりとりを見ていると、ある目的(=成績を滞りなく出す)ためにみんなが協力(=役割分担を交換する)して、直面した問題(=出張という時間的スケジュールと成績提出の期限という齟齬を回避する)を見事に克服したのではないでしょうか?_私はこれこそが「異質な条件を異質性を保存しながら調和的に問題を克服する」というグローバル共生社会論の生きた実践ではないかと思います。
現在の教育改革でのシラバスの書き方は、いかにもコンシューマモデルで、教師集団がなにをどこまで学生の評価をするのかをきちんと明示すべきだと私たちに指示します。しかしながら、この種のグローパル・キャピタル・マネジメントシステムでは、当事者(=学生)たちが、授業からまなんだ自己評価について成績に反映できないという問題があります。私は現今のコンシューマモデルには問題があるとは思いますが、このモデルを採用してるにせよ、ステイクホルダーのひとつである「学生」の意見が成績決定に反映されないというのも変な感じがします。株主総会では、会社の責任者が株主に説明責任を果たします。
もしそうだとしたら、グローバル共生の基本中の基本で、自己反省的実践の生きた見本である「学生集団」と「教員集団」とのあいだのコミュニケーションも、演習課題になるのではないでしょうか?_成績判定をめぐるコンフリクトをどのように回避して、双方に納得した成果を得るのかという議論です。
私信:教務委員長経験者からすべての学習者へのメッセージ
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グローバル化時代における「多文化共生」の再検討と文化のダイナミズムに関する研究:神戸大学への外部リンクです

M先生へ
なかなか面白い話ですね。
もし文化人類学者の放談でもよろしければ参加させてください。
なお、今後のメールは本状の発信源にお願いします。
なお、私は下記のような研究テーマもありますので、その方面からむしろそちらの研究会において私じしんが「勉強」させていただくかもしれません。
実験室における社会実践の民族誌学的研究
若き日のチャールズ・ダーウィン
うんこの哲学