「めくらのかあく、めくらのかあく」みゃおはそう言って鉢を執る

今日は、ローランド・カークのマーキューリーボックスセットをコンピュータに取り込む。
Blues for Alice で泪がちょちょ切れる。私のアリスも戻ってこい!
ブラインドついでに言えば、そういえば、ディスクJJで買ってきた Descent into the Maelstrom, L. Tristano.もいける。いわゆるブッチギリ……
イーストウィンド=日本フォノグラムのいかにもゲージュツ風というところが、今の若者(馬鹿者)が口にする「アート」(阿阿[呆]塗)風と同様、とてもξのだが、ライナーのプロデューサーのセシル・テイラーと重ね合わせるところが、まさに、そのように聞こえるのだが……つまり愚の真骨頂! セシルとトリスターノがそれぞれ、どのようにオリジナリティを生み出しているのかという差異に気がつけば、なぜ、トリスターノのリズムセクションが単調であり、セシルのグループがそうでないことがわかるはず。
セシルは、山のなかに篭もる修行タイプで、山から下りてくれば、彼の個性がセシルのチームに共有されているので、リズムセクションの迫力がぜんぜん違う。トリスターノを昔の評論家が、孤高の天才と表現したのは慧眼で、遅れてやってきた、ゲージュツ風を発見したプロデューサーが、トリスターノとセシルの表面的類似性を言ってもはじまらない。アホの極み、おいたわしや〜
第一、セシルのファンも、トリスターノのファンも、カルトだからね、表面的に比較するような浅薄な見解を披瀝すると、本当に鉢が飛んでくる。
おっと、鉢を掴んでいるのはセシルのファンでもトリスターノのファンでもなかったよ……
「めくらのかあく、めくらのかあく」みゃおはそう言って鉢を執る……
すばらしい。この人たちにはほかにないものがあるから
そういうひとにわたしはなりたい……