派遣切り関する論評における自己反省の力の欠如

派遣切りに関する現象が、とんでもない悲劇であることは間違いない。
路頭にまよう人がいる。違法との指摘もある。それに対するさまざまなアクションもある。
だが、しかし、派遣切りを決定している人が具体的に誰(複数)であり、どのような意思決定プロセスを経て派遣切りになるのか、そして、そのような判断が、もし我々の手にあれば同じ判断をすることができるのかについて十分な資料・検討材料が見つからないのが現状だ。
それゆえに派遣切りの現状に我々は「おかわいそうに」と対岸から同情するか_つまりマスコミ情報のただ消費するだけか、派遣切りを告発する運動家に、これまた対岸からモラルサポートするか_署名をしたりビラを読むことしかできない。
このごく普通の市民の自己保身的ではあるがなんとかしなければならないという焦燥感と不作為は、我々がいただく政府の官僚と完全に二重写しになる。
ご著書の御恵与どうもありがとうございました。
下記の文面旧字体か、JISにない文字コードが化けてしまいました。
立派な業績なのですから、私信めいた文面の挨拶を撒くとナイーブな奴と思われてしまいまっせ〜(ご挨拶のコミュニケーションデザインには気をつけたほうがよい)。
それから関西で「大山」と書けば「だいせん」のことなので、このメールは鳥取から来たのか(!)と思われてしまう。それほど関西はエスノセントリックな土地がらなんぢゃ