トイレ論争記、またの名をトイレット民族誌

mitzubishi2008-11-06

横浜のトイレ掃除論争は、対岸の火事とはいえ興味深い――私は記事を読む限り賛成派である。
というのは、賛成派は児童生徒へのディシプリン[=便所掃除の強制を通して復命できる児童生徒を育成すること]と[こちらは信憑性が疑わしい]公共性の育成を強調しているが、反対側は[論駁としては正鵠を得た]公共性育成へのパフォーマンスの正当性を疑問にするだけではなく、[生半可な科学知識をもとに]汚物との接触による汚染や感染を危惧しているのからである。
この一節を読んで、メアリー・ダグラスのPurity and Danger の冒頭のエピソードを思い出さない文化人類学者はいないのではなかろうか?そう、これは清潔の意識と道徳の意識が、近代生活の中では[民族学的には]奇妙な直結をするという、きわめて興味深い文化的事例なのだ。
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横浜市教育委員会が、特別支援学校を除く全市立学校計五百校で、児童・生徒によるトイレ清掃をおよそ三十年ぶりに復活させることが四日、分かった。対象は小学三年生以上の予定。今月中旬以降、モデル校の小中学校十校前後に順次導入し、二〇〇九年度を試行期間と位置付けた上、一〇年四月から全校で本格実施する。教職員からは「身の回りのことを自らできるようになるのは重要」「感染症など衛生面に問題がある」など賛否両論が出ている。/市教委によると、県内の公立学校では、横浜市の児童・生徒だけが全くトイレ清掃をしていない。トイレという共有スペースの便器や床、ドア、ノブなどを掃除することで、物を大切にする心や規範意識を養おうという狙い。少子化の影響からか、個人中心の考え方をしがちな子どもが増えているため、「公共の精神」を育てる目的もあるという。/学校関係者のひとりは「トイレへの落書きや破損を含む暴力行為の件数が、〇五年度に過去最高に達したことも影響しているのではないか」と指摘する。/過去に児童・生徒がトイレ清掃を実施していたこともあったが、一九七〇年代後半以降は「校務員の業務」と位置付けられてきたという。現在、小学校は昼休み、中学校が放課後にトイレを除く掃除を行っており、トイレ清掃もこの時間帯に行う予定。/トイレ清掃の復活は教職員の反応を二分。反対派は「公共心が育つのか疑問」「ノロウイルスやO―157などに感染しない対策が取れるのか」と指摘。賛成派は「トイレをきれいに使うようになる」「身の回りのことを自らできるようになるのは重要」と主張する。/モデル校となった中学校の男性校長は「トイレ清掃を通して、自ら社会を良くしていこうという心を養いたい。衛生面には細心の注意を払っていく」と話している」(headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081105-00000000-kana-l14)。