私は理想主義者なので

mitzubishi2008-07-24

Xさん
垂水源之介です。私は理想主義者なので、現実レベルへの適用には割り引いて考えてください。
授業言語について……
シラバス項目のなかに【使用言語】を入れればよいのではないでしょうか?
たとえば「【使用言語】日本語と英語。それ以外にフィリピノ語(通訳支援付)」というふうに記載するとか。
ただし外国語恐怖症の土壌はまだありますので、多言語でやるけれど日本語のモノリンガルな人の参加も大歓迎するように記述します。
……
もしそうでしたら、是非、全部英語を中心とした多言語でやってください。どれだけお客さんがくるかどうかわかりませんが、このサブコース全体を、英語を共通語として多言語で授業をやってもいいのではないでしょうか?――大◎外大との統合の成果を見せつけるチャンスで新聞記者も招待して宣伝すればよい。
……
国際開発の授業なのに「理論と実践」および「スキル」が日本語オンリーなわけないじゃないですか?!
もし仮に日本語が主要語になっても適宜外国語があってもよいのでは?また、留学の実態として、多くの留学生は日本語でも授業を受けているので、リスニングはハンディがありながらもできると仮定して、(1)試験やレポートを日本語以外でも受け入れる、(2)授業中の議論や質疑応答は日本語以外の言語でも支援する、というポリシーでやればよいのではないでしょうか?
その他に……
特定の学生に来てもらうためには、当該の学科や教室に行って事前のセールスが必要です。
みなさん?◆大院にいったいどれくらいの科目があるかご存じですか?
われわれの授業科目の追加は大海の中の1滴でございます。
どれくらい来てもらえるかわからないのです。また1人でもお客さんがくれば実施しないとなりません(もったいないと思わない?)。
また◆大にくる外国人留学生は、サイエンスとその技術を学ぶ忙しい人が多いので、人口や民族や母語の構成は多様なものの、なかなか授業に出てきてもらえません(院生の留学生比を考えれば自明)。
受講院生の確保は、想像以上に大変です。
履修の構成はシンプルに――でないと後の認定が面倒くさくなる――、そして内容は創意工夫したリッチなものに!というかんじでしょうかね。
私の主張は以上のとおりです。
以下余談:
 たとえ現実にありえない条件法の文章でも「日本語ができない留学生については、プログラムの修了は断念してもらう」という発言は慎んでほしいですな。私の辞書にはデフォルトでそのような例文が収載されていません。その理由(1)留学生でも◆大が受け入れた以上、教員はなんらかのサポート努力をする必要があります。事実、言語能力のハンディの上で履修できないとか結果的に落第することは事実上あります。しかし、受講届けのレベルでは[仮に予測されても]教員はその時点では排除できないことは自明だと私は考えます。また別の実態として(2)「日本語ができない日本人ネイティブ」どころか「正確な日本語を話せない大学教員」もそれなりに居ますからね。そのような発言は私の身体感覚では天に唾するもので、かならず報いが来ると思います。さらに(3)「日本語ができない」という表現は、100m足を付けずに泳げない、という意味とは違った尺度基準で測られるものだとおもいます。つまり具体的に「どの程度できないのか」ということが明示されるべきだと思います。
 教育の評価は(1)絶対評価でどこまでできるようになったか、のほかに(2)どれだけ本人のあいだで知的成長や創造があったか、の2つの尺度で測られるものです。ただし現実の教育現場で、その2つの尺度が矛盾することがあっても、複数の教員が熟慮してこの相矛盾する尺度から妥協点を見出しても、実態として(基準をオープンにしておけば)それほど社会から指弾されることはないと思います。