戦慄する大学関係者たち

週末の関西大学のドラッグ(大麻覚醒剤など)汚染のニュースは、多くの大学関係者にとって戦慄すべき事件であった。
その後の取り調べなどから警察からの会見報道なども、大学は学生の薬物依存についての危機管理がわるいというメッセージを十分に読むことができる。
つまり(1)容疑者が使用・売買・栽培について悪びれることがない、(2)キャンパスが警察が入り込まない聖域とみなされディーリングの温床になっている、というこの2点である。
しかしながら関大の学長が、謝罪記者会見(大学側からみれば教育や生活指導に失敗したと認識しているようだ)に、警察庁からのポスターを持参し、それを記者の前に見せフラッシュを浴びるというのは、滑稽というかお粗末としかいいようがない。ポスターの掲示をしているから防げるものではないし、逆にポスターを掲示したり(場合によっては、以前にあった薬物利用による学生の転落事件の時におこなわれただろうが)訓辞を掲示するだけで具体的な対策を講じていなかったことがまるわかりになってしまったからだ。学長にはゴッフマンの社会学を勉強していただく必要があるだろう。
ここでは、警察は大学の生活指導にとって大きな影響力を果たすことに成功しつつあるようだ。
それにくらべて大学の対応はどうだろうか?――警察のような戦術に対応したマスコミ対策を講じているだろうか?
どうせ、関大はゼロトレランスの原則で、被疑者たちが自供した時点ないしは前倒しで無期休学、刑が確定した時点で懲戒にもとづく退学か除籍という処理をすることだろう。しかし、このゼロトレランスの問題点は、大学が厳しく対応したという点で、一時的に社会への申し開きは実現できるだろうが、むしろ、蔓延しつつある汚染問題への切り札にならない。なぜなら、汚染されていない大学などどこにもないし、ゼロトレランスそのものが類似の犯罪のを生じる抑止力になっていないからである(ゼロトレランスは一時的な抑止力にはなるが、根治治療ではないからだ)。
というわけで、シジフォスの神話ならぬ、学長は再び記者会見で、頭を下げる練習にあげくれるのである。
こんなポストに就いて何が楽しいのだろうかねぇ……
■キャンパスにおける〈ドラッグ汚染〉を考える
http://cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/080519drugproblem.html