社会保険病院設立の趣旨

社会保険病院設立の趣旨について、「昭和19年太平洋戦争の末期に当り、大部分の医師は戦線に応召し医薬品も大部分が軍需に流れ、一般民間人、ことに被保険者は受診に不便をかこっていた当時健康保険病院か計画された。」と、「全社連三十五年のあゆみ」に書かれています。さらに、健康保険病院か計画された理由として次ぎの4項目が;上げられています。
1.医師の応召が多いうえに、都会地の医師が空襲の危険のため田舎に疎開し、健康保険による受診の不便が甚 だしくなったこと。
2.医師は医薬品不足のため、健康保険診療よりも一般診療を歓迎するものが多く、直営病院の建設により保険診 療を啓蒙する必要の生じたこと。
3.当時健康保険特別会計の余剰金が多額に生じ、これを漫然と積立てることはインフレ等のため将来無価値とな ることが予想されたこと。
4.インフレの到来が予想されたので、これに伴う保険診療単価、点数の変更が必要となり、そのでータを得るため には実験的直営診療機関を必要としたこと。
このような事情を背景に、健康保険病院が建設されることとなりましたが、人件費の予算まではなく、南満州鉄道 株式会社が好評であった例にならって、経営は民間に委託する国有民営方式が採用されました。これが、現在の
社会保険病院設立の経過です。 」(出典:飯田龍一「医療と文化」2002年11月13日)