東亜同文会はどっこい生きている!

米軍再編江畑謙介先生のヒズボラの驚異的軍事力に関するエッセーを『東亜』でみかけました。すばらしい分析と論理の展開。さて、この雑誌とは霞山会の前身とは、東亜同文会と知り驚いた次第(自分の無知を恥じるばかり)。昨日は小川尚義・浅井恵倫コレクションをみたばかりなのです。浅井の業績にも感動。
霞山会の前身・東亜同文会の事業目標は「支那保全ス」でありました。欧米列強の侵食を受けた当時の中国を日本の力で守ろうとする考え方は、19世紀から20世紀に切り替わる時代背景のもとでは、わが国の国益に照らしても意味のあるものでした。東亜同文会は、この目標のもとに、上海で東亜同文書院を経営し、日中の架け橋になる人材の育成に努めました。/以来一世紀が経過し、今日、中国の発展振りを目の当たりにして、「支那保全ス」というような考え方が当てはまらなくなったのは当然であり、また喜ぶべきことだと考えます。しかし、この間にあった不幸な戦争と、戦後30年近い外交的断絶により、両国間に歴史認識で越えがたい溝ができてしまっていることは、国交正常化から30年以上を経過した現在でも否定しがたい事実であります。また、中国はわが国と政治体制を異にし、民主主義の考え方についても立場が違います。そうした中国との相互理解の困難さは、あらためて申し上げるまでもありません。/その一方で、いまやわが国と中国は、アジアを代表する2大国となり、両国間で対等な関係に立ったケースは歴史上ありませんでした。日中が手を携えてアジアの隆盛をめざすことは、東亜同文会の創設者たちも理想とした姿だろうと思います。もちろん、そのためには日中双方が共通の意思をもつ必要があり、そのための自覚的努力が求められます。そして、今、目の前にそうしたチャンスがめぐってきていることはたしかです。世界は、経済を中心にボーダレス化と地域統合という大きな潮流のもとにありますが、将来において「東アジア共同体」がもし実現するのであれば、日中両国の協調・協力が不可欠なはずです。/その意味で、われわれは中国を対等の存在として認識し、率直な意見の交換ができるパートナーシップの関係を構築したいと考えています。そうした関係のもとで、はじめて意味のある相互理解と協力関係が可能になると思います。霞山会は中国を中心とするアジアを対象に、学術・文化・教育交流を通じて、かつての東亜同文会と同様に人材の育成を事業の基本におき、アジアの協調的発展、ひいては世界平和に貢献していきたいと願っております」(出典へのリンク)。