王様の矜持

東條英機と天皇の時代 (ちくま文庫)昭和天皇A級戦犯合祀に不快感を抱いていたことを間接的に示す宮内省長官のメモがみつかった。以下は識者のコメントである。
「昭和史に詳しいノンフィクション作家の保阪正康さんは「昭和天皇東京裁判の結果を容認し、A級戦犯合祀はおかしいと判断していたから、想像できる範囲ではある」とし、影響について「参拝に反対の立場の人たちからは『昭和天皇でさえも否定的』という声が強まるのではないか。小泉純一郎首相と昭和天皇靖国について考えが違うことがはっきりした。首相は参拝するのであれば、昭和天皇の判断に、政治の最高責任者として戦争について見解を改めて述べる必要があるのではないか」と語った。/一方、一橋大大学院社会学研究科の吉田裕教授は「徳川義寛侍従長の回想で示唆されていたことが確実に裏付けられ、松岡洋右元外相への厳しい評価も確認された。今後は分祀論にはずみがつく。小泉首相も、少なくとも(終戦の日の)8月15日に参拝をしない理由になるのではないか。首相の参拝には多少の影響はあると思う」と話した。/日本近現代史に詳しい小田部雄次静岡福祉大教授は「昭和天皇の気持ちが分かって面白い」と驚き、「東京裁判を否定することは昭和天皇にとって自己否定につながる。国民との一体感を保つためにも、合祀を批判して戦後社会に適応するスタンスを示す必要もあったのではないか」と冷ややかな見方を示した。その上で「A級戦犯が合祀されると、A級戦犯が国のために戦ったことになり、国家元首だった昭和天皇の責任問題も出てくる。その意味では、天皇の発言は『責任回避だ』という面もあるが、東京裁判を容認する戦後天皇家の基盤を否定することもできなかったのではないか」と話した」(出典:headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060720-00000062-mai-soci)。
この報道の数ヶ月前から日本遺族会の古賀議員がA級戦犯靖國神社からの分祀を示唆していたが、徳川侍従長の回顧という歴史的証拠の上に、古賀は、この日経の特ダネの情報をすでに掴んでいたのではないか。昭和天皇のご意思(遺志でもある)であれば、神社/遺族会/国会議員(=まあ虚構だがそれに「国民の総意」を含めて)を全部丸め込めるという算段をしたのではないか。中国訪問においても、日本の[穏健]ナショナリズムを代表する議員と中国共産党が、タイマンはって議論できる文脈をつくれることを古賀自身が確信していたのではないかとの憶測もあながち外れてはいないだろう。昭和天皇もまた、戦後民主主義の国民の象徴として、ご自身の政治的発言や、ささいな行動の政治的問題化を必死で避けていたのだろう。要するに、立憲君主制における国王の矜持を自ら保っていたのだろう。人格をもつ王様の最後の身の処し方をきちんと理解していたのであろう。つまり、昭和天皇は自らの戦争責任をきちんと自覚していたというだ。これは、戦前/戦後の国民の常識とそれほど矛盾しないと思う。戦争責任論をめぐって無意味なシャドーボクシングをおこなっていた、いわゆる「右翼」と(自称)リベラル派のバトルとは、大いなる空振りだったのだ。憲法改正の議論の中には、すみやかな天皇制の廃止と、皇室家の人々への(日本国民なみの)基本的人権の付与と承認についての穏健なプログラムを構想してほしいものだ。それが天皇の赤子(せきし)として処刑されていった戦犯すべて[もちろん罪の意識を持たれていた昭和天皇も含まれる]のための我々の国民の供養になるのではないだろうか。天皇制の廃絶の日、それは真の意味での「天皇皇后両陛下、そして日本国万歳!」と国民が叫ぶことのできる最後の日(日本の第二次世界大戦終結終戦の日でもある)になる。