さあ、いい加減な気分で論文を書こう!

mitzubishi2006-05-18

ルドフスキーの現代建築批判の5つのキーワード:vernacular : anonymous : spontenous : indigenous : rural ここから、建築を集落の次元で考えようとする動きが始まる。畑聰一による次の解説は、建築家がどのように土着の住まいや、それらが集合的美学あるいは集合的設計という思想をもっているのかというストーリーを分かり易く解説している。貴重である。
「時期を合わせるようにして,ルドフスキーがニューヨークのモダン・アート美術館で開催した写真展の冊子が日本に紹介されるのだが3 ,この小冊子が当時の若手建築家や研究者の関心を海外にも向けさせることになった。建築家が関与しない,地域の土着的な建築のもつ造形の美しさは,デザイン・サーベイにはない後頭部を一撃されたような迫力をもっていた。その後もこれに類するM・ゴールドフィンガーやP・オリバー,E・ギドーニなどの著作が次々に輸入された。デザイン・サーベイの蓄積はその後も生きて,まちなみ保存やまちづくりなどの手法に影響を与えることになると認識しているが,国内を対象とするブームは70年代半ばになると,徐々に収束していった。/70年代になると東大生研原広司研究室が世界をめざして集落調査を開始する。以後,5回に及ぶ壮大なフィールドワークを実施するが,その特徴は調査のスケールにおいて,また調査の内容や方法において従来の研究と著しく異なり,しかも対象への認識を常に問い,空間記述の方法を模索している点に斬新さがあった4 。後に原研究室の活動は,調査をともにした藤井明に受け継がれ,集落を記号として解読する作業とともに,事例のアイデンティティを読み込み,データベース化することにも力が注がれている。/80年代に入ると,日本建築学会の大会講演発表会のなかに,海外の住居や集落を調査しその成果を発表する事例が急増し,間もなく発表項目のなかに「海外居住」なるセクションが新設されるようになる。このような研究の動きを受け,88年の学会秋季大会では,「住居・集落研究の方法と課題」と題する建築計画協議会が開催されている5 。96年にも学会秋季大会にて,アジアの住居・集落研究を対象にして「計画研究の新しい視座を求めて」と題するパネルディスカッション6 が開催され,海外の住居・集落研究が建築計画研究の一部門として定着するのである。/以上が,私の認識する「集落」への関心の大雑把な流れである(出典:畑 聰一「集落の本」www.jusoken.or.jp/kihontosyo/kihon19.htm)。