司法官は裁判の過程では道徳を説くことなかれ

A Machine to Make a Future: Biotech Chronicles司法官は裁判の過程では道徳を説くことなかれ。ああ、これではアイヒマン裁判のあのツルッパゲの名検事ではないでしょうかね。「「個人的なことを言うと、あなたのファンなんですけど。あんまりファンをがっかりさせるな」/東京都内のホテルで二月、覚醒(かくせい)剤を使用したなどとして、覚せい剤取締法違反罪に問われた人気ポップスグループ「ドリー◎ズ・◎ム・◎ゥルー」の元メンバー、ZZZZ被告(41)の初公判が二十七日、東京地裁(KKKKK裁判官)で開かれ、検察官が“ファン心理”を織り交ぜつつZZZZ被告を断罪した。/黒のスーツ姿で出廷したZZZZ被告は起訴事実を認めた。弁護側の被告人質問では「覚醒剤は渋谷のクラブで売人から買った」「体が疲れていて使ってしまった」と供述。さらに「罪を償ったら覚醒剤撲滅運動に携わっていきたい」と語った。ZZZZ被告は泣き続けていた」(headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060428-00000022-san-soci&kz=soci)。なんちゅうか、禁止薬物の利用=犯罪、犯罪に対する処罰の完了、罪からの解放後のプログラムを配慮した刑の考量、これらを審議しなさいちゅうねん。そもそもファンなのか元ファンなのか(薬物を使うヤツは人間のクズなので検事は、そのクズの作品は呪うべきものなのか)。こういう価値中立な立場をとれないヤツは、検察官にも裁判官にもなるべきではない。むしろ被告の社会的制裁や、服役ないしは「罪の購い」を踏まえた上での判断が必要だ。もっとも、このような計算ずくめの論理が実際には成り立たない(例:懲役刑の受刑者は釈放後に再犯率が高い=現在の受刑システムは再犯防止には十分に機能していない)。だからこそ、こんな検察官がエピソードになるのだ。誤っているのは、犯罪者と同様、(十全に機能していない)司法制度でもある。