さようなら“女性”詩 高槻織り子

毎日新聞の配信「詩人の茨木のり子さんが自宅で死去していたことが、19日分かった。79歳だった。・・・大阪府生まれ。帝国女子薬専(現東邦大)卒。劇作を志すが、結婚前後のころから詩作を始め、53年同人誌「櫂(かい)」を創刊。その後、同誌には谷川俊太郎大岡信各氏らも参加し、みずみずしい詩が生まれた。55年に第1詩集「対話」、58年には「見えない配達夫」、以後「鎮魂歌」「自分の感受性くらい」などの詩集を刊行した。暗い時代に押さえつけられてきた感受性が弾けるような勢いがある。他に随筆集「うたの心に生きた人々」など。91年には訳詩集「韓国現代詩選」で読売文学賞。99年に出した「倚りかからず」はベストセラーになった」(出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060220-00000002-mai-peo)。日本の散文詩の世界は、ジェンダーバイアスが跋扈する世界ーー独特な聖域を形成していたーーであった。詩というジャンルが分散拡大消滅するなかで、詩作に熱中する人たちも減ってゆく。詩作は今も昔も主要なジャンルではない――もちろん生活の糧でもない。H・アカバルが私に「どんな世界でも詩人は“貧しい生活”をしているのだよ(=詩作で大もうけするような連中はいない)」と世間の常識を、諭すように言ってくれたことを思い出す。ある言葉の織り人の喪失だが、それ以上にこの巨星は大「莫迦」岡信がコメントしたように「戦後の“女性”詩」が名実共になくなりつつあることを徴なのだろう(か?)。