極私的科学論、あるいは科学論と人類学

mitzubishi2005-12-30

極私的科学論、あるいは科学論と人類学
◎「みんな科学論が好き?!」1976年の大学状況
・大学状況:新左翼の衰退の進行、三無主義、オイルショック('73)から復活、勉強をする学生のキャンパスへの復帰(?)・・・
・社会状況:「人類の進歩と調和」('70)の呪縛と解放:公害反対闘争のアンダーグラウンド化、市民運動の始まり
・知的状況:大学教育における「哲学の真の意味での衰退」と、科学論の勃興(なんたってパラダイム!:クーン『科学革命の構造』(1961→1971)。我が国では構造論ブーム(レヴィ=ストロース)と構造主義批判が同時に進行。思想状況のバロック状態・・・
◎科学論と人類学
・共通点:研究対象がないと成立しない。観察対象と当事者の分離不可能性。当事者問題や学問が生む様々な社会的効果に関心(左右の学生運動の受け皿:保守化状況の中での若者の社会に対するショックアブソーバー)
・原典主義(ヘルメス主義)ではなく、理論の解釈や、理論の洗練さを競う。(外部からは格好よく見える:現実は悲惨?!)。従って議論の展開は高度化、瑣末化する傾向があり、学者としてのアイデンティティにおいてはエリート主義を育む(だが庶民=人民の味方という屈折した大衆主義を併せ持つ)。
・職業的共通点:大学教員としての雇用は僅少
◎ポスト極私的科学論/ポスト人類学
途中まで共通した経緯、異なった現在
・80年代の脚光:村上陽一郎山口昌男
・90年代の黄昏:(理論的荒野――遺産の食い潰し時期か?)
・21世紀の夜明け[科学論]:科学技術立国論、科学技術コミュニケーション
・21世紀でもまだ真夜中[人類学]:社会参画をめぐるさまざまな論争や議論が継続中