トロツキーの遺書(1940年2月27日)

mitzubishi2005-12-29

「私は、自分の意識的生涯の43年間というもの革命家でありつづけたし、そのうちの42年間はマルクス主義の旗のもとで闘った。たとえはじめからやり直すことになったとしても、もちろん、私はあれこれの過ちを避けるように努めるだろうが、私の生涯の全般的な方向性は変わらないだろう。私は、プロレタリア革命家、マルクス主義者、弁証法論的唯物論者、したがってまた妥協的でない無神論者として死ぬだろう....
 ちょうど今、ナターシャが中庭から窓のところにやって来て、私の部屋に風がもっと自由に入るよう窓を開けてくれた。塀の下には、輝くばかりの青々とした芝生が細長く伸びているのが見える。塀の上には澄みわたった青空が広がり、太陽の光があたり一面にふりそそいでいる。生(=生命・生活・人生)は美しい。未来の世代をして、生からすべての悪と抑圧と暴力を一掃させ、心ゆくまで生を享受するように.....」(出典、一部改変:http://www.marxists.org/nihon/trotsky/1930-3/isyo.htm)。また、遺書のプリントメディアはトロッキー『亡命日記』栗田勇・浜田泰三訳、現代思潮社、254-5ページ、1968年でも読めます。なおトロツキーがラモン・メルカデルにピッケルで襲撃されたのは1940年8月20日死亡は翌日の午後7時だった。

箴言
http://www.let.kumamoto-u.ac.jp/cs/cu/xxx.html
http://cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/xxx.html