ニュースの時間

mitzubishi2005-12-19

 かつて私の時間的サイクルにおけるニュースの時間は、朝刊と、夕方から夜にかけてのNHKテレビのニュースであった。つまり1日の始まりと終わりに出来事をチェックするのだ。つまり、前夜から翌朝にかけておこった空白を埋め、夜は朝刊から夜までの出来事のチェックをおこなっていた、ということになる。ニュースソースへのアクセスに時間的に2相のピークがあったということだ。
 しかし新聞を取るのをやめ、またテレビのニュースをみなくなった(その10時の時間帯にニュースステーションがある場合は別だがね……古舘アナウンサーは老衰で引退した前任者よりも私との年齢差が近いために親近感がある)。そのためニュースへの依存は、もっぱらインターネットのヤフーやグーグルのニュース(ちなみにもうひとつのライブドアのポータルはニュースとしての格調は前2社と比べて全くなく、ほとんどスポーツ新聞のエッチ記事のノリだ)に依存するようになった。ということは、ニュースはネットに繋がっているかぎり、ひたすらだらだらと見るわけだ。
 こういう状態は何を引き起こすか・・・・、ニュース視聴が儀礼的行為をなしていた昔は、ニュースの世界と日常性との間にある種の棲み分けが行われており、ライブドアがフジを買収しようが競馬馬を走らせようが知ったことではなかった。しかし現在では、極めて薄まった形ではあるが、さまざまな下らないニュースが我々の日常の一部になってきた。例えば女児誘拐殺害事件・・・自分に関与する事件としては一生に一度あるかないか、そして多くの場合は起こることがないだろう事件が、なにか身の回りで頻発しているような感覚にとらわれる。それがニュースを媒介とする非現実的な妄想であり実態を伴っていないことぐらいは、子供が無惨に殺される頻度をリオデジャネイロと東京で比較してみれば(あるいはそのように想像してみれば)よい。
 このメディアの洗脳効果は恐ろしいねぇ。想像するにビッグブラザー並みだ。にも関わらず民放連は、そのようなニュースメディアの地殻変動に気付いておらず、自分たちの既得権を守らんがために、ネットでのテレビ放送の配信を容認を拒絶している始末。もうテレビでは、日本人はソープオベラしかみないのではないか? そのオペラすら外国(この場合は韓国)の吹き替えモノに依存している始末。
 民放よ!(NHKはもう絶滅の道を辿るので情けをかけない)もっと危機意識をもて!