欲望に忠実とはその自己理解が必要

mitzubishi2005-11-29

垂水源之介です。
 あなたは最新のメールで・・・
【1】
引用文〈=日本では水道水へのフッ素添加は不要だという個人的所見が記してある〉
とおっしゃいましたね。
しかし11月2日のメールでは
【2】
引用文〈=人々の健康のためを思い強制力による政策の実施はいけないと思いながらも、フッ素添加に自分は「固執し」、なぜ提唱後何十年も経っても日本では実施されない社会的理由を明らかにし、住民が自己決定可能になるような資料を作ることに「使命感」をもつ、という趣旨の文章が記してある〉
と書いています。

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【2】の文章は「人々に・・・一貫していますが」は、あきらかにフッ素添加にこだわっているから、「〜が」というふうに逆接表現になり、そして「固執し・・」と書いていることで、フッ素添加の実施が好ましいとほのめかしています。ところが、研究をやるのは「住民がこの件に対して賛否を判断するための、参考となるわかりやすい資料を作るため」とあたかも調査が客観的なことが目的であると書いています。これはある種の偽装ですね。研究としては〈不誠実な〉研究になりかねません。反原発あるいは原発推進派の人が、それぞれ学者を抱え込んでやる調査のような〈不誠実さ〉ですね。
 ところが最新メールでは【1】のような見解を出しています。【2】が不誠実だとしたら、この文章は不誠実に輪をかけるほど邪悪なものになります。【1】も調査の結果から研究者がどのようなことが引き出せるのかという考察が未来において必要とされるのに、ここでは結論が何の根拠もなく示されているからです。
【2】がフッ素添加をやりたいという欲望を成就したいがために、客観性という偽装をしているのに対して、【1】ではフッ素添加は必要がないとおっしゃってますね。この間の関係を矛盾と言います。もし矛盾でなければ一ヶ月の間にお考えが変わった(そういう人を行儀の悪い言葉で表現すると「変節漢」と言います)ということでしょう。

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ご自身の研究を動機の背景にある見えない欲望をよく理解しなさいと私が貴方に諭しているのは、こういう意味なのです。自分の欲望に忠実になるには、ご自身の欲望そのものへの理解が必要になるということです。