地球の本当の名はソラリス

《地球の本当の名はソラリスだったんですよ!》
 ソラリスは映像をつくるのに、難しい映画だと思う。旧作も新作も、ぼくはどちらも文学作品のほうの原作に勝てなかったと思う。なぜだろう、それはソラリス的な幻影の中に、じつは僕たちが生きているからだと思う。決定論と自由意志、ノミナリズムとリアリズム、このような二分法をブリッジするだけではなく、その区分自体が、非本質的ななにかではないかと感じさせる作品だからだ。だから、リアリズムと自由意志という、我々の存在の《本質的な頚木=くびき》は、映画のような《気散じ》の手法では、どうしても抜け落ちてしまうからだ。なぜなら、この地球というものがソラリスと呼ばれる惑星だからだ。