【カントの問い】について

【カントの問い】
何を知りうるか?
何をなすべきか?
何を望みうるか?
■理性の関心事に関するカントの問いは、恋愛でもつかえますやん?――だとしたら、恋愛や恋愛対象も、理性的存在ということなのでしょうか?
■それとも(理性から派生した)万物に対する人間の問いは、まず、この3つから考えよ、という先人の我々に対するアドバイスなのでしょうか?
■(機能論的に考えると)このように、サルでも覚えられる、3つの問いを、観想の対象を前にして思い起こすことは、とにかく、対象に取り組もうとしているすべての学習者に対してクールダウンして「冷静になりな!」という効用があるということになりますな。
■でも、このようなインペラティブが通用しないクソバカな連中(例:私語をして五月蝿い幼稚園児並のヤンキーな学生)を前にしてカントはあまりにも無力?ではないのか?――現場の教師(=後輩)から聞こえてきそう〜♪
■すなわち、冷静な思考をするためには、それはよいものであり、したがうべきだという、メタ・インペラティブが作働しておいてこそ(=理性的思考をするためのアイドリング状態)、カントの問いは――少なくとも実践的には――「問いを促す人」と「自ら問いに取り組もうとする人」にはじめて意味(=意義)をもつとか……
■君はどう思う?