炭坑の中のカナリアとしての大学の良心

SS(突撃隊)の職務規程に、「それ自身のための任務をおこなう」ことの絶対禁止を謳ったものがあるらしい。スターリンの政権の時の人民への管理理念もそれに通じる。もし、経済成長のためには、だれもが正しい会社人になるためには、それに異議をもってはいけないと、もし私たちが思えば、それは危険信号だろう。今、大学では、世間の人たちが「キャンパス原人」に対して呪うように「研究のための研究はけしからん」に通じる。なぜなら、そのような全体主義的支配への【同意】は「大学の先生はなんでも好きなことができていいなぁ」という願望が充足されないことが、それを管理する文科省当局のサディズム的政策への屈折した同意を意味するからだ。仕事を天職として専心しているとき、人は「それ自身のために職務する」ことの喜びを享受しているはずなのに、自分のことを忘れて、大学人の【怠惰】を叱りそれで溜飲を下げる。しかし、もし、人類の知恵の進歩が、真理や人間性の正しさや善のそれ自体へのための任務の結果だとしたら、この禁止原則は、大学のキャンパスを超えて、市民生活そのものを蝕むようになるだろう――大学は人類の善の置かれている状況を知るためのバロメータすなわち、炭坑の中のカナリアなのだ。