文化の脱プログラミング化について

【文化イメージの刷り込みを脱プログラミング化すること】
 ここで指摘されている黒田さんの危惧(=イメージの刷り込み)は、ある種の文化人類学者の中で共有されているもので、私もその1人だと自任しています。現在では「文化のブローカー」と呼ばれる人たちが一枚岩の〈文化〉相対主義武装しているのではなく、むしろ(様々なカモフラージュを通して)さまざまなタイプの《文化》帝国主義や《文化》ナショナリズムを復古(renovación, renovar)させているエージェントになったのでしょう。ここ(Pátzucaro, Estado de Michoacan, México)にやってくるまでの飛行機の中で、久しぶりにウォシャオスキー兄弟のマトリクス(映画)を観ましたが、このような擬制の《文化》批判は、もはや伝統的なシャーマンとそれにまとわりつく疑似文化人類学者よりも、ナイーブなハッカー(もちろんその精神的なグルはJulian Paul Assangeその人なのだが)たちが、非常に断片的、非常に分子的な、そして非常にアフォリズム的な呟きの中でおこなわれているのでしょう。
黒田さんの危惧とはFBのなかでおこなわれた次のような呟きです。正確さを担保するために全文を引用します。
==引用はじめ==
イメージの刷り込みについて。
このごろユニセフ協会?からのTVCMで貧しい子どもへの支援をお願いします、というのがよく流れている。それはいい。その意図はわかる。しかし、現実にそういう生命の危機さえある子どもの画像はアフリカの子どもであったり、インドネシアの子どもであったりする。痛ましいことである。
 が!それによって「あ、インドネシアってあんなにまずしい後進国なんだ」とか「アフリカってみんなあんなんなんだ」という刷り込みがなされているんじゃないかと思う。
 海外、といった場合にも「海外にならって私たちも云々・・」と向上心を強調するときに脳裏に浮かんでいるのは、アメリカ・西欧でしょ?けっして中近東、アフリカ、東南アジア、中南米じゃないよね?(
 ユニセフの意図はともあれ、ああいう形で「貧しい後進国」のステレオタイプなイメージがいまだに蔓延してるのは、ちっとも「視線が国際的」にはなってない。
 先日韓国とタイがアジア大会の審判を巡って対立し、タイが秀逸な皮肉映像(Youtubeにあった)を公開したとき,それでもタイを後進国と思っている人からは「あんな後進国がなにいってるの?」というコメントがあって、衝撃を受けました。
 アジアといっても、貧しげな田舎やスラムばかり写すのではなくて、ちゃんと大都会(日本以上に大都会だよ)の映像をだしてほしいなあ。
==引用おわり==
出典:https://www.facebook.com/aminahkuroda/posts/762255173848090?fref=nf&pnref=story