僕と伯父と勝新太郎で〜♪

【僕と伯父と勝新太郎と忘舅とカニバリズム
 シベリア抑留生活が長かった僕の母方の(義理の)伯父は、瀬戸内のヤスリの町の親方だった。夏休みの従兄弟の家によく泊まった時の、彼は非常に厳しい顔の人だったが「都会のオボッチャン」風の僕に――よく誠実に生きろと――優しく説諭するようなタイプの人でもあった。この伯父さんが、母方の祖父が亡くなった時――この祖父は女だらけの姉妹の心優しきゴッドファーザみたいな人で娘たちに随分慕われていた――私の母や叔母を含めて、みんながめそめそしているのを、非常に嫌っていたようだった。彼の圧巻は、骨拾いの時に、無言で逆上し、祖父の煎餅上になった頭頂頭蓋骨を拾い上げて、おせんべいを食べるようにガツガツと喰う仕草をしたことだった。小学校5年生の僕は、さすがにドン引きして、すげえ伯父さんだと感動したことがある。この記憶は長く忘れられていたが、ヤク中になってボーとした勝新太郎が、舅の二代目鴈治郎の骨拾い(1983年4月)の時に、鴈治郎さんの骨をひとつつまんで、口にいれて食べ始めことだ。あわてた玉緒が「あんたなにしてんの?!」と仰天するところが、テレビで放送された時に、シベリア抑留の伯父さんのあの抗議にも似た、骨拾いの現場での振るまいを思い出した。そのような【先人の蛮勇】の記憶があるために、僕の舅の死去の時に、彼のほおにチューをしたり、写メでバシバシとって、みんなの顰蹙を買ってもぼくは、なんの衒いも恥ずかしさもなかった。葬儀とは死者と生者を最後に【結びつける】重要なイベントだからだ。