ゴジラと肉体派女優、あるいは

ゴジラと肉体派女優、あるいは「苦い原爆」の想い出について】
 本多猪四郎監督の「ゴジラ」(1954)は水爆実験下の日本の放射線恐怖と戦争のトラウマを描いた秀逸な作品ですが、僕が大好きなシーンは2つあります。ひとつはやがてゴジラになぎ倒される電車の中で若い女性が「せっかく原爆から生き残ることができたのに!」青春を謳歌しないと損だなどと友人に吐露するもの。もうひとつは、停電のなかで、ゴジラによって殺されるであろう殺される母子の母親が「もうすぐ(戦死した子供の)お父さんのところに行けるのよ」と諦念とも暗い希望とも呟くシーン。どちらも今からみれば(時代のエートスが共有されていない今)2人の年齢の違う女性がなんであんな発話するのかが、わかりにくいものになっています。
 さてゴジラとはうってかわって「苦い米」の主演のSilvana Manganoは肉体の色気むちむちなので、戦後の日本で(1952年公開かな)「原爆女優」と呼ばれたそうです。
 さらに、1970年代に入り、学生運動も頓挫したころから、朝日新聞などは、取材される側の配慮などと称して、メディア用語に「言葉狩り」敢行します。朝日新聞主催の夏の甲子園でも広島代表の攻撃力に「原爆打線」なんて言わせなくなるのです。となりのやまだ君やののちゃんが収載されるようになる以前のいしいひさいちの漫画(たぶん、バイト君かな)には、この原爆打線とアナウンサーが叫ぶカットと、広島市の暑い日差しを元被爆者がぼそっとつぶやくカットを併置しただけという、おそろしくすばらしい風刺4駒漫画があります。原爆なんて(カタワやメクラという忌み嫌われるものと一緒に)忘れてしまえばよい、という時代が本当にあったのです。だから、広島や長崎で、子供に平和のスピーチなんかやらせる茶番などやめたらいいんだと思います。そんなことよりも、子供たちにゴジラや苦い米でも見せて、映像リテラシーを教えてあげるほうが、もっと、実の入った平和教育になるかもしれません。ま、だれも相手にしてくれないでしょうが……