虎松の祖父について

【虎松の祖父について】
 えた※の虎松は、解剖の巧者だが、急病にて、虎松の祖父が代わりに呼ばれる。九十歳になるという虎松の祖父の名は登場せず(老屠=ろうと、老いた屠畜人、とのみ)、過去に数人を解剖したと玄白に告げる。虎松の祖父は手際よく刑死人※※を解剖するが、良沢や玄白が手にした和蘭解剖書にもとづいて、根掘り葉掘り聞くので、虎松の祖父は、ほかの医師たちは何も訊ねずただ自分の解説を聞くだけだが、いちいち質問をしてくれるのは初めてだと感慨を述べる――今から考えれば奇妙だが屍体に対する汚穢の禁忌があるために医師達は人体や内臓に触れない。この無名の「老屠」もまた、日本の西洋医学の導入への大いなる貢献をした(日本の解剖実証という)「現場の人」だったということがわかる。『蘭学事始 上之巻』
ーーー
※えた、とは、江戸時代の身分制による被差別階級の呼称のことです。文中にありますが、屍体に対する汚穢の禁忌があるために医師達は人体や内臓に触れなかったために、日本の解剖学の黎明期には多くの無名(限られた文書の中にのみ残る)のこの身分の人たちが貢献したことは言うまでもありません。
※※解剖の被験者もまた、解剖学の進歩に貢献した(死後ではあるが)人である。この刑死人は高齢者の女性で、京都生まれで、本名はわかっていませんが、その徒名を青茶婆(あおちゃばば)と呼ばれていたということです。